「自分の機嫌くらい自分でとればかものよ」
投稿日:2021.06.23
恥を承知で告白します。
「自分の機嫌をとるのは自分」だと悟ったのは、かなり年をとってからです。
申し訳ありません、、、これまで僕に関わってくれた皆さんに、心より謝罪します。
ごめんなさい。
僕の機嫌が悪くなるのは、まわりにいる誰かのせいで
僕の機嫌が悪くなるのは、突然切れた電池のせいで
僕の機嫌が悪くなるのは、不安にさせる「社会」のせい。
そんな風に思って生きてきました。
だから、24時間常に機嫌が悪かったのです。
茨木のりこさんの詩に「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」がありますが
まさに「自分の機嫌くらい自分でとればかものよ」です。
逆境の中にいて希望を失わぬ人に出会い、
あるいは自分のこどもが親のせいにせず自立するのを見て、遅ればせながら
自分の機嫌は自分でとるものだと気づきました。
寝る、好きな本を持ってひきこもる、好きなものをたらふく食べる、飲む、筋トレする、
空や海を見る、サウナに行く、落語を聞く、「きっとうまくいく」とつぶやく・・・
機嫌をとる方法をいくつか見つけたら、心が楽になりました。
これまで自分のまわりで機嫌が悪い人がいたら、
何で機嫌が悪いのか推測してドキドキハラハラしてましたが、
あの人の機嫌の悪さはあの人の問題、僕には関係ないと思えるようになったのです。
怒るのも同じです。
誰かのために、何かのせいで怒っているのではありません。
その人が怒りたいから怒っているだけ。
最近よく思うのですが・・・
「みんなのために」「社会のために」「○○のために」という人は、
かなりの確率で機嫌が悪いか怒っているかのどちらか。
なので、できるだけ避けています。皆さんもご用心を!
さあ、美味しい珈琲とカレーで、機嫌なおして行きましょう。
一文字 弥太郎